物事を判断するとき何を基準にして決めるのか?
人は本来自由なはず。自分のやりたいように物事を選びとりやれるはず。
しかしながら親の教育、学校教育、社会の中で
「ああした方が良い、こうした方が良い」
「あれはダメ、それはおかしい」
「~をしないとダメになる」
と常識のシャワーを浴びせられる。
そのうちに物事の判断基準が自分の心ではなく社会の常識に基づいたものになってしまう。
「本当はこれはやりたくない…でもやるのが普通だから」
「本当はこういう風にやれたらいいけど現実的に無理だよな…」
社会の常識に合わせて自分の声を我慢するのは苦痛だ。常識の中で生きるのであれば自分の心の声を無視しなければ生きられない。
上記のように考えているうちはまだ良い。
自分の心の声をかき消し我慢に我慢を重ねた結果、自分の好き嫌いが分からなくなるばかりか好き嫌いで物事をやっている人間を批判し我慢を強要するようになってしまう。
自分の好き嫌いを無視し社会的に良いとされることを我慢して続けていてもその先にはさらなる我慢が待っていたりするのだから恐ろしい。
我慢すればいつか報われるなどというがあれは嘘だ。
「してもいい苦労というのは本人は苦労と思っていない苦労」という言葉があるが本当なのである。
ただの好き嫌いによって選択したほうが良い方向へ向かう。
心は無視できないということだ。
社会の常識はその人自身が作り上げたイメージであり、そんなものに足を引っ張られるくらいなら無視して好き嫌いで選びたい。
自分の心をまず満たさなければ他人の役に立つのも難しい。